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ご本尊 医王殿
圓満寺遺跡
姫路城内護摩祈祷
銀杏の木の伝説
   (樹齢500年)
阿修羅天
 圓満寺は大化5(649)年、法道仙人によって薬師如来を本尊として開かれ、平安時代に弘法大師によって再建された高野山真言宗の寺院です。室町時代の大永年間(1521〜1528)の天火に合い、寺院の大半を焼失しました。その後、江戸時代慶長14(1609)年、古寺復興を志す河内出身の明覚上人によって中興されました。同年9月に姫路城主池田輝政より寺領安堵の折紙を受け、伽藍を再興して本願を達成し、以後、法灯400年現在に至ります。


ご本尊 医王殿(御開帳は30年に一度)
 本尊は薬師三尊です。中尊の薬師如来立像は、像高76cm、玉眼、漆箔の像です。口を僅かに開けて歯を見せるのは、いわゆる「歯吹き」と呼ばれる珍しい像容で、明覚上人自刻の像かは不明ですが、上人造立と伝えられています。年代的には江戸時代の作と考えられています。
 両脇侍は向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩で、中尊よりも像高が高く、作風が異なりますので、後に脇侍として置かれたようです。
ご本尊
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圓満寺遺跡
圓満寺遺跡
 1990年代に2度にわたり、圓満寺遺跡の発掘調査が行われました。出土品、地理的な環境から、ほぼ左の古地図のような山岳寺院だったようです。

※左の古地図は、江戸時代後半〜明治時代に作られたものです。

姫路城内護摩祈祷
 慶長14(1609)年、姫路城内でしばしば起こる魔障のために姫路城主池田輝政が悩み、明覚上人にこの魔障の調状を懇請したといわれています。圓満寺に伝わる「明覚上人姫路城魔障調状祈祷」によると、慶長16(1611)年12月23日、家臣小瀬助左衛門が魔障の調状の命を持って遣わされてきました。翌慶長17年2月6日から21日間にわたって護摩祈祷が続けられ、真言密教の加持力によって魔を追い払い、後に城内に八天塔を建立して城の鎮守とし、城の魔障もおさまったと伝えられています。

銀杏の木(樹齢500年)の伝説
 圓満寺の銀杏の木にまつわる伝説があります。
●慶長14年(1609)に明覚上人がこの地に立ち寄った時に、この銀杏の根元に悪夢を感じ、ここを掘り起こしたところ、「石櫃一器」を掘り出し、この中に「秘密道具竝賽銭」があり、以ってここに寺を再興したとされています。ここに伝えられる掘り出された一部に経筒(圓満寺名宝)もあったかもしれません。
●銀杏の木に、母乳の出にくい女性が祈れば、乳を授かるといわれています。(乳薬師)

阿修羅天
 アソラまたはアスラと呼ばれ、元来は、「生命を与える神」、「大地に恵みを与える神」、「呼吸の神」とされ崇拝されていましたが、古代インドでは争いを好む悪神とされています。
 その後、お釈迦様によって仏教が説かれるや、その教化によって熱心な仏教信者となり、仏教守護・除災招福の善神となったといわれています。ここに善神の阿修羅天を奉り、一切衆生に生命と生気を与えるとともに、崇拝される方々の除災招福・和平円満・仏教紹隆を祈願しております。
阿修羅天


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