1年が過ぎて 1年が過ぎ去ろうとしています。この1年、自分にとってどんな年だったのだろうと振り返って見ますが、いろいろあったけれど、また、
その時々は、頭を働かせ忙しい思いをして頑張ってきたのだろうけれど、今となっては、ただ何となく過ごしてきたような、そんな1年でした。皆様はどうだったでしょうか。
なんとなくでも
とはいいましても、国の内外大変な事件もありました。国内にあっては、小泉内閣の誕生・狂牛病発生・愛子さま誕生、国外では、何と言っても
同時多発テロ事件とその報復戦争。私達はその1つ1つに目を見張り、耳をそばだてて、一喜一憂して来ました。ただ外部からのニュースや刺激に
反応するということだけで・・・。それで1年が過ぎていったような、そんな気がします。それでよかったのでしょうか。 自分として、自分から何かを外部に発信する、外部に働きかける、そんなことはほとんどなかったように思います。自分から積極的に社会や大衆に
向かって働きかけるような事は、思い起こしても頭に浮かんできません。ただ、次々と迫ってくる行事をあれやこれやと汗をふきふきこなしてきただけでした。
このように1年を振り返ってみると、その時々の時代を作り出して人は、素晴らしいと思います。歴史上の人物・英雄・ヒーローなどは大変な苦労を
した結果として今も言い伝えられてきているのでしょう。大いに敬服致します。 しかし、それらの人物を支えてきた多数の名もない人々があったればこそ、その時代が成り立っていたという事もできます。時代の表面には出てこなくても
その時代を担う重要な働きを、それぞれだれもしていたといえます。だれもこの世の中に生まれてきたもので、必要のない人・無駄なものは1つもないのですから。
ただ存在するだけで生きている意義があるのですから。赤ちゃんも子供も青年も壮年も老人も病人も身体障害者も。 みんなみんな生きている意義があり存在している価値があります。 そのように考えてきますと、なんとなく過ごして来ましたこの1年ですけれども、
自分の気が付かないところで、少しは世の中の為になったのではないかと自分で自分を慰めています。
この時期になると「どうぞ良いお年を」というのが挨拶の言葉となっていますが、数年前までは、その言葉の響きの中に、明るい希望が宿っている様に思ったものですが、
今年の暮は、只言葉を交わすのみといった雰囲気が私には伺えます。 「他人はどうでもよい。自分だけはなんとか良い人生を・・・」などと言う考えは、
今は通らなくなってしまいました。だれも生きている価値をもって生活しています。自分が生きていくのには他人を生かさなければ世の中成り立っていかない。
いよいよそんな時代がやって来たのでないでしょうか。 そんなん昔からそうやったやん。とは思いますが、これからはもっと「他人を生かす」意識を強く持っていく事が、
大切な世の中となってきたように思うのです。 「生かせいのち」は高野山真言宗の活動スローガンです。難しい言葉では、お大師さまの説かれた「曼荼羅思考」です。
世の中、何1つとして無駄なものはありません。すべてのいのちを生かし、また、生かされて行く。この世の中が始まっていらいの真理です。 行く年・来る年にあたり崇高なことを自分の身もわきまえず書いてしまいました。 合掌
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